2009.11 Okinawan children's
Picture Exhibition in Timor-Leste
2009.11.25~12.08
25日、眼下に見えるのは、Taci-Tolu。陸上自衛隊PKO時の駐屯地ものこの辺りにありました。ヨハネ・パウロⅡ世の銅像も見えます。 | ニコラ・ロバート空港。 東ティモールの地を踏むたびに、なぜか涙が出てくる。 |
到着して直ぐに、沖縄チームのみんなと打ち合わせ。 ※沖縄チームとは、JICAの研修で沖縄を訪れた24名の東ティモールの仲間たちのこと | まずは、東ティモール外務省を訪問。中庭がとってもきれいです。 |
NGO HATOにて、明日のイベントの打ち合わせ。そこで学ぶ若者たちと | 沖縄チームのみんなが、Irenaのお宅でウェルカムパーティーを開いてくれました。 |
沖縄のタームー(田芋)と同じお芋が並んでいます。椰子の茎を粉にしたクレープなど |
26日、朝早く、グテーレス副首相にお会いしました。沖縄の子ども達の絵画展開催をとても喜んでくださいました。 | NGO HATOでのイベントに参加。 |
たくさんの皆さんが集まっての意見交換会です。 | 民族衣装は私の名前入りで織られていました。感激!! |
子ども達の歓迎の踊り。一生懸命練習したそうです。嬉しい。 |
27日、良く晴れた青い空。今日はLiquicaの学校へ | 一緒に行動して下さった宇良さんへ、子ども達から友情の証、タイスがかけられます。 ※タイスは、東ティモールの伝統の織物。 このタイスを首にかけて、歓迎の意と永遠の友情をを表します。 タイスによって結ばれた友情は、神の手によってしか絶つことは出来ない。 |
沖縄の子ども達の絵に見入る、東ティモールの子ども達。 | 一心不乱に描く姿を見ていると、自然と涙がこぼれてきました。 沖縄のみんな、ちゃんと心は届いたよ。 |
不発弾についての危険性を伝える「不発弾安全キャンペーン」も同時に行いました。 | 沖縄のお友達、ありがとう!! |
Liquicaの村の子ども達。みんな学校が大好き!! | Liquicaの海岸。沖縄のサバニ(くり船)にそっくり。 |
海岸でサッカーを楽しむ子ども達。 ボロボロの靴、ボロボロのサッカーボールでも、みんな楽しそう。 | 写真撮っていい? いいよ-! 遊ぶのを止めてカメラに向かってくれました。 |
昔ながらの塩つくり。 | 砂浜に干した椰子の葉で、お土産用の民芸品を作っています。 |
壁にかかるのは伝統の織物タイス | のどかで静かで、ゆっくりと時間が過ぎていくのが心地よく... |
そんな空間には似合わない、ポルトガル支配時代の砲台の跡。 | 伝統の建物、トラディショナルハウスの教会。 |
28日、独立宣言日式典に、宇良さんと一緒に参加。1年前のこの日をきっかけに、子ども達への支援を始めることに。 |
ラモス・ホルタ大統領。東ティモールの歴史を語って下さいました。 |
新しくなった大統領府の玄関前で。 |
29日、Aileuの学校へ。学校は、椰子の茎の壁にトタン屋根。もちろん、電気はありません。 |
沖縄の子ども達の絵を展示して、みんなにクレヨンを配って。 | 粗末な校舎にキラキラ輝く目を持った子ども達。一生懸命に描く姿が心に響いて... |
みんなの絵は、日本の皆さんに見て頂いていますよ。素敵な絵をありがとう。みんなと一緒に居られて幸せでした。 | 素敵な絵、素敵な夢をありがとう。 |
一人一人のお名前を呼んで、ありがとうを伝えながら、歌のプレゼント。 | さぁ、今度は一緒にテベテベを踊ろうよ。 |
帰りには、Aileuの市場に寄りました。 | Bon ito!! |
お豆腐もあります。 |
悲しい歴史を刻む虐殺の碑。 | Maubisseへ。ここは標高が高く、コーヒーの産地として知られています。 |
ポルトガルの貴族の邸宅だった場所は、今、ホテルとなっています。しかし、水が出ないので使われていませんでした。 | 沖縄チームのみんなが、学校での活動を力強くサポートしてくれました。 |
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30日、大統領のご紹介で、首都Diliにあるカノッサ会修道会の院長シスターにお会いしに行きました。 | いつも通訳で助けてくれるテレーザ直ちゃん。ティモール人よりテトゥン語が上手い! |
最近は夜になるとライトアップしているキリストレイ。。 | ラモス・ホルタ大統領が私邸で夕食会を開いて下さいました。 |
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12月1日、今日から泊りがけで、東の地域に。Lagaには、首都Diliから車で4時間。 | Lagaに向かう途中必ず立ち寄る、Pousada Baucauホテルの従業員とは、すっかり仲良しに。Tazu今度はいつ帰って来るの? |
東ティモールは、どこもお花でいっぱい。 | この花は、薬草らしいのですが... |
Pousada Baucauのレストラン。 |
懐かしいLagaの孤児院に到着。シスターエルメリンダと嬉しい再会。今、学校がお休みなので、みんな親戚に引取られていました。 | お留守番していたのは、二人の女の子、お母さんがご病気で家に帰ることが出来なかったのです。 |
「たとえ一人の子どものためであったとしても、歌いに行きたい。」と思っている私は、もちろんこの子たちにもミニコンサートをしました。 | 学校が始まって孤児院に帰ってきた子ども達は、沖縄の子ども達の絵を楽しんでくれると思う。 |
シスターの卵たちと一緒に。また、帰ってくるからね。 |
12月1日、夕方ロスパロスに到着。 大草原が広がる、豊かな土地。のどかな風景に、昔の暴動は想像も出来ない程。しかし、残された傷跡には、確かに行われてしまった数年前の悲しい出来事が刻まれていた。 | 12月2日の朝、ロスパロスラジオに出演。O Rai Timorを歌い、平和のために共に歩くために歌いに来たことをお話しました。 |
12月2日ラウテム県知事を表敬。ロスパロス病院で歌うことを伝えると、とても喜んで下さった。県知事と長年の付き合いの直ちゃんが通訳してくれました。 | お世話になったAFMETの朝の会議でも歌わせて頂きました。 |
ロスパロス病院でのコンサート。県知事が県の要人を集めて下さり、皆様に歓迎のお言葉を頂きました。 私の方が嬉しかった。 | 歌った場所は、病院の渡り廊下。奥は入院病棟、手前には外来の患者さんや病院職員が聞いて下さいました。 |
宿泊させて頂いたAFMETの前にて。小林先生、邦子さん、ありがとうございました。 | 豊かな土地、ロスパロスを後にして、メハラへと向かう |
メハラに到着。首都Diliからは6時間。ロスパロスからは、道に迷って3時間でした。水が無い村。安全な水を届けることができれば... | 苦しい環境の中でも、子ども達は必ず笑顔を返してくれる。 |
街角コンサート開始。メハラの子ども達へは粉ミルクと缶詰を届けました。沖縄の子ども達の絵は、修道院の掲示板に週変わりで展示してくださることに! | 聖母訪問会のシスター方の深い愛情が、子ども達を元気にさせる。毎日、村人の家を訪ね、病人の身体を拭き、子ども達の様子をご覧になって、栄養失調の子どもは修道院につれて帰り栄養状態を良くしてから家庭に戻す。 |
| 12月3日 早朝、修道院で働く農夫の皆様に、モーニングコンサート。 |
O Rai Timorや沖縄の歌を歌う。 | 農夫の皆さん、とっても喜んでくださいました。「僕たちはお金も無いし、着る服も無い、コンサートなんて聞けるはずもないのに、Tazuは僕たちに歌いにきてくれたんだ」 |
不発弾の危険についてもお話する。 宇良さんの出番。これも最重要の活動です。 | メハラの草原を抜けて、美しい川が流れる場所へ |
水質は、沖縄の南部の水と同じ、石灰岩を通った水。村人の水浴(ハリス)や洗濯の場になっています。 | シスター達も、たまにピクニックに訪れる場所。 |
ゲリラ時代のグスマン首相をかくまったミゲールさんの奥様。 | メハラで8年間、村人と共に暮らすシスターズは、いつも笑顔でいっぱい。 |
12月6日、Malianaに向かう途中。東ティモールで一番長い橋。 |
マリアナの市場で店番をする女の子。カメラを向けると恥ずかしそうに笑ってくれました。 | あげパンを売っています。 |
店番をしながら、ひんやりしたコンクリートの床でちょっとお昼寝。 |
豆やお米も売られています。 | 店番の女の子。 |
子どもは、遊び道具を見つけ出す天才。どこの国の子も同じですね。 | 空芯菜(ンチェーパー)は、東ティモールの食卓に毎日乗ります。 |
マーケットは、村人の憩いの場になっています。 |
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ここが国境の町、Batugade。白黒のバーの向こうはインドネシア。 | 首都Diliに向かう山中、水溜りで遊ぶ子ども達。 |
どの子もカメラを向けるとポーズをとってくれる。 | Mobaraの海岸の民家。 |
ここでは、椰子の実のワイン、Tua-Mutinを売っている。 | 神様が降り立ったのかと思うほど美しい、Diliの夕刻。 |
夕日が美しい... | その夜、インドネシア支配時代から歌手として活動しているトニー・ペレイラと出会う。 |
12月7日、首都Diliにあるカノッサ修道会の修道院。ここには常時、600名の子ども達が教育を受けている。皆、家庭が貧しいか、或いは、DVを受けている子達だとのこと...胸が痛む。 |
みんな、一生懸命絵を描いてくれました。ありがとう。 |
協力してくれた、沖縄チームのLudvina | 傷ついた心を隠し、笑顔を懸命に作ろうとする姿に、精一杯の愛情を注いで歌うことしかできませんでした。 |
Diliでは、モヒカンが流行っています。でも、とっても素直な子ども達。 | いつも助けてくれる、沖縄チームのIrenaとNeria |
つっぱったポーズをしていても、テベテベ,ダンスでは、満面の笑顔で一緒に踊ってくれました。 | 絵を描いてくれたみんなに、私からは歌のプレゼント。 |
みんな一緒に手をつないで、テベテベを踊ろう!! 音楽は心をひとつにする。歌える幸せをかみ締めながら... | 不発弾安全キャンペーン。ここでも、沖縄チームのみんなが大協力してくれました。 |
不発弾の怖さを知っている沖縄生まれの私は、宇良さんの子ども達への想いが痛いほど良くわかります。 | 少年たちは、歌でお礼をしてくれました。一緒に歌って、一緒に踊って。みんなありがとう。 |
カノッサ会院長シスターグルエルミナと | シスターグルエルミダとクリスマスの飾りつけの前で。 |
| 12月7日、帰国前日、ラモス・ホルタ大統領が夕食会を開いて下さいました。 |
ラモス・ホルタ大統領の弟さんから、メハラの修道院にブランケットの寄贈がありました。ありがとうございます。 | 聖マリア大聖堂。明日が修復後の落成式典。 |
アジアで最大の大聖堂。 | 神父様にお願いして、中を見せていただきました。オーク材とステンドグラスで飾られた美しいお御堂。東ティモール人の信仰の深さが伝わって参ります。 |
12月8日、帰国の日の朝。 | 海がさびしそうに映る。 |
12月8日、帰国の日。沖縄のチームのみんながお見送りにきてくれました。ありがとう。 | 飛行機が飛び立つまで、フェンスの外で見送ってくれました。 |
また、帰って来ます。Lagaの子ども達も待っててね。 |
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